無醫村
-
電子書|無醫村
P.1 文字對照
在學生時代參與過的同人雜誌,來信向我募款和邀稿。這時我正閒得很鬱悶,說為了消遣,聽起來未免太不認真了,可是,實際上,我卻不能完全否定這個因素,終於決定寫些什麼了。
學生時代曾寫過不太高明的小說和詩,既沒受人讚賞,也沒受過貶抑,可以說是不被放在眼裏。除排字工人和校對者以外,恐怕沒有一個人讀過這些作品吧。但是,好像「大舌的愛講話」似的,以後我還是時常想寫些什麼。然而,學校畢業後,我便成為一家之主,也就沒有工夫去想它了。剛畢業時,是為了要籌開一家醫院資金,吃了很多苦頭,開業以後呢,生意又不好,從此便是始終為了還利息和種種費用在頭疼,但是,世間的人都有一種習慣,以為醫生一定都很富裕,所以我也就沒有必要把自己的慘狀公開出來,可是苦痛卻更加浸進到骨髓裏。我以為寫不痛不癢的稿子,結果也不過是白浪費紙張,然而,由於長時間的惰性,我向這次來信邀稿的編輯承諾寫稿。
這個雜誌是人才濟濟的,當然輪不到自己出風頭。編輯說「請惠賜大作」,大概是應酬話吧。他的意思與其說要我的稿子,不如說要這個醫生的錢吧?想到這裏更增加我的苦惱。
學生時代關係してゐた同人雜誌から寄附金と原稿を呉れと言つて來た。閑散に過ぎて退屈しきつてゐた時だつたので、退屈しのぎにでもと言ふと、大變不眞面目に聞えるが、全くのところこう言ふ要素を全然否定しきることの出來ない氣持で僕は何か書くことにきめた。學生時代幾つかの下手や小説や詩をものした僕は、ほめられもしなかつたかはりにはけなされもしなかつた。言はば無視されたかたちであつた。恐らくは植字工や校正者以外には誰一人讀んではゐなかつたと言ふのが眞實かも知れない。が、下手の横ずきと言ふか、僕はその後でもちよい~~何か書かうと考へたりした。しかし、學校を出て一家の主となると仲々さう思ふやうには行かなかつた。
學校出たての時は開業資金のことで散々苦勞し、開業後はその不成績で、今度は借金の利子拂ひや、その他で終始頭を痛め續けてゐた。それでも世間は醫者を裕福なものと考へる習慣がついてゐるので、自分で自分の惨めさをさらけ出す要もなかつたが、併しその苦痛は一層骨身にこたへた。そして、藥にも毒にもならない自分の原稿は、結局紙の浪費に過ぎないではないかとこう考へるやうになつてゐた。が、長い間の惰性で、今度又原稿をよこせと言つて來た編輯者に書かうと回答してしまつた。この雜誌は多士濟々で無論僕の出る幕ではなかつた。編輯者の腹は恐らく僕の原稿よりも、玉稿を賜れと言ふのはまあおつき合ひで、眞實は開業醫になつた僕の懐中をねだつてゐるのであらうと思はれた。これが又僕にとつては大變惱ましいことであつた。
P.2 文字對照
我的腦海裏,如蒙上夕雲般的沉悶,連一點新鮮活潑的氣氛也沒有,想要寫稿子,這完全是過於鬱悶時的一種輕率反應罷了。與其寫稿,不如追打在診察室裏嗡嗡地飛著的蚊蟲還比較對得起社會。我終於把這個意思寫了寄去給編輯……這是握著鋼筆茫然地坐在診察桌前,熬了好幾天以後的事。
編輯的回信立刻來了。信裏說:
──吾兄不以診療醫生為足,而願當預防醫生,真是一件很好的事情,不愧是木村博士的得意門生。然而,吾兄,我們的雜誌社現在是瀕於垂死的狀態中,很迫切地盼望吾兄給我們打一針強心劑──
這真使我難為情了。與其說他是編輯的能手,毋寧說他是經營的老手,我對他推辭寫稿,他竟回這張讓人摸不著頭腦的信來。富於自尊心的我,終於把它解釋為這雜誌社是不能缺少我的稿子的,我這支筆竟能夠主宰這份雜誌的死活,我感到志得意滿起來。他雖然沒有提起捐錢的事情,但卻似乎在力求物質上的援助。既然蒙他的青睞,我便覺得非下一番工夫來報答他的美意不可,但仍然是無濟於事。然而,若被他認為因為不會寫稿,才不寄捐款去就討厭了,更不願意在此時囉囉嗦嗦地說明自己的苦況以求諒解,結果是只好自認欠了債罷了。想來想去,也想不出什麼好辦法,就在藥局找出注射藥和其他的藥品讓給鄰居的名醫,把那些錢寄去。因為鄰居的病院生意很好而不夠藥品;我自開業以來,卻幾乎沒有病人光顧,一些藥品都存著沒用。
僕の頭は夕雲のやうにどんょりと沈んでゐた。新鮮さも潑(「揦」去手加水邊)さもなしに何か書かうと言ふ考へは全く退屈しきつてゐた時の輕舉であつた。原稿を書くよりは寧ろ診察室をプン~~とび廻る蚊でも打きつぶした方が世の中のためになると終には考へるやうになつた。そしてこう言ふ僕の氣持を書きならべて編輯者に送つた。幾日かぺンを握つて茫然と診察机の前に頑張つた後に
―― すると折返し編輯者からこんな手紙が來た。――兄は診療醫のかはりに豫防醫として立つ。誠に結構だ。流石は木村博士の高弟だ。だが、我等の雜誌は今危篤な病勢にある。切に兄のカンフル注射を求む――
僕は一本参らされた。仲々の名編輯と言ふよりも経營の名人である。原稿断つたに對して、彼は雲をつかむやうなこんなことを書いたのである。自尊心の強い僕は自分の原稿を缺くことの出來ないものと解し、自分の一筆がこの雜誌の死活を支配すると言ふうぬぼれに縛りつけられたのであつた。が、この手紙は金のことを一言も言はないで非常に積極的に物質的援助をにほはせてゐるのであつた。僕もおだてに乘つて頑張つて書かうと思つたが結局無駄だつた。が、原稿を書けんから寄附金も送らないと思はれるのは懕だつた。このところで自分の苦境をだら~~と辨明することは向一層懕なことであつた。で、結局僕は債務者としての自分を自覺しなければならなかつた。それで外に名案もなかつたので、僕は藥局を探して、注射藥やその他をお隣りの名醫にぞ讓つてその金を送つてやつた。向ふは患者が多くて藥が足りなかつた。が、僕は開業以來殆んど患者がなくて藥はストツクになつてゐた。
P.3 文字對照
由於我的強心劑而復活的雜誌送來了,上面登著一段文章,說我是德高望重的名醫,真使我啼笑皆非。也許我是解除了這個雜誌的危機,但是,以一個剛出學校的新手,在這名醫滿街、從來是打死蚊蟲的數目比醫治病人還要多的所謂「預防醫生」,稱我是很有德望的名醫,這也未免太挖苦人了。
我忽然湧上詩興,在這個只有蚊蟲進來的診察室裏構思著蜘蛛詩②。 「先生!先生!」有人咚咚地敲著門,一直叫著。我一面寫著蜘蛛詩,一面聽。聽著聽著,又寫了一行。
「先生!先生!」叫聲和打門聲越來越急促地響起來,但是我很沉著地再寫了一行。 夜已經很深了。可以想像這大約是急診病人,可是,我仍相信是隔壁名醫的顧客。為什麼呢?像這樣的情形,已經有好幾次了。剛開業時,好多次慌慌張張地跳了起來,打開門才失望的經驗,我已經領教過了。尤其是白天整天也沒有一個人來光顧的新手,難道會有在半夜裏有人來打門的道理。
叫聲越叫越大,打門聲越打越急,我手裏的鋼筆也越走越快,接連地又寫了兩、三行。
「劉先生!劉先生!求求你!」此時這句話很清楚地打著我的耳鼓,我吃驚地站了起來。鄰居的名醫是林先生,劉,沒有錯,是我呢! 開門一看,果然是一個像僵屍的男人,提著燈籠筆直地站在我家的門口,因為是頭一次的經驗,使我驚慌失措。
我恐怕是在做夢,仔細地觀察他的面龐。
このヵンフル注射で蘇生したと言ふ雜誌が送られて來た。それには僕が非常に徳望の厚い名醫であると言ふことが書かれてあつた。僕は苦笑を禁じ得なかつた。なるほど僕は雜誌の危機を救つたかも知れない。だが、名醫の軒をならべるこの街にいきなり割り込んだ學校出たてのほや~~が、この新米が、治した患者よりは叩きつぶした蚊の數の多いこの所謂豫防醤が徳望の厚い名醫とは片腹痛い話である。
急に僕は詩興がわいた。蚊より入つて來ないこの診察室で僕は蜘蛛詩をひねつた。
「先生!先生!」
戸をトン~~叩いてこう呼ぶ聲が續いてゐた。僕は蜘蛛詩を畫きながらこの聲を聞いてゐた。聞きながら僕は又一行書いて行つた。
「先生!先生!」
と叫ぶ聲と戸を打く音が益々激しく急調子に響いて來た。が僕は落着いて又一行書き込んで行つた。
眞夜中である。急患でもあらうと言ふことは察しがつくが、隣りの名醫の鴨であらうと僕は信じてゐた。何故ならこれはこれ迄幾度もあつたことで、開業早早は幾度も狼狽ててはね起き、戸を開けてがつかりした経験を僕はもつてゐるからであつた。長い日中を待ちくたびれても寄りつかないこの新米の家に、なんで眞夜中戸を打くものがあらう!
聲は益々強く戸を打く音は一層激しくなつてゐた。僕の手が動いてぺンがさら~~と鳴つた。そして僕は續けざまに二三行走り書いて行つた。 この時である。
「劉先生!劉先生!お願ひします!」
P.4 文字對照
我看他那種血紅的眼睛,便知道有很重症的病人在等著我。「鏗!」鄰居的名醫把門關上,縮了進去。
我忙回轉身走進裏頭,把診察用的器具裝進皮包裏,心裏覺得這次的責任是非常重大,無論如何非把他醫好不可。我感覺到,就我的生活而言,能否醫好這個病人,是我今後發展的一個關鍵。我非常緊張,收拾妥當後,急急走出來,竟把擱在火柴盒上一支剛吸著的香煙忘了弄滅。恐怕是香煙的火引燃了火柴,及至我回家時,桌上的原稿都燒得成為灰燼,好在還沒有肇成大禍。
話說回頭,我走出來就催促這個僵屍般的人走。不久,我們走進一條胡同,再拐幾個彎,終於走進一間半傾的草屋。這完全是另外一種世界啦。前面是這麼漂亮的高樓大廈,後面竟有這麼骯髒的聚落,這是我從來所未曾察覺到的。燈籠的微光所照出來的屋內,完全和小說上描寫的洞窟一樣,黑沈沈、陰氣森森的,地上舖著木板,那上面躺著一個人動都不動一下。我趕緊按了他的手,脈息已經很沈很難覺得。我馬上想起編輯所說的注射強心劑,可又使我著急起來。因為一些藥品連帶其他器具,都賣給鄰居的名醫去了。
我正著急時,他忽然起了兩三次幾乎不能察覺到的微微的痙攣就斷了氣,脈息完全停止了。枉費我那麼緊張,對於他抱了這麼大的期望,他辜負了我的一切,終於輕易地死去了。 看起來像是死者母親的老婆子,聽到我說明以後,就哇哇大哭起來。帶我來的僵屍般的人,像是死者的兄弟,不知所措地踱來踱去。我也不知怎樣才好,只是站著發愣,好像找到了情人,又一瞬間失去一般。即使我待在這兒也無法挽回,可是又不好意思就此離他們而去。
と言ふ聲が判つきりと僕の鼓膜を打つた。僕はハツトして立ち上つた。隣りの名醫は林先生で劉は間違ひなくこの僕だからである
戸を開けて見ると幽靈のやうな男が一人提燈を下げて間違ひなく僕の家の戸口に立つてゐた。始めての経験で僕は非常に狼狽したものであつた。夢ではないかとさへ思つた。僕はジーつとその男の顔を見つめた。血走つたその男の目は非常なる重患が僕を待つてゐることを僕に傳へた。隣りの名醫がパタンと戸を閉めてひつ込んで行つた。僕はあたふたと引返して診察用のガラクタを往診かパンにつめ込んだ。何とかして治してやらなければと言ふ重大なる責務を感じた。自分の生活から言つても、この病人を治すか否やに依つて、今後自分が重大な岐路に立つであらうことを感じたのであつた。僕は非常に緊張した。用意が出來ると、さつき吸ひかけてマツチの上に置いた煙草を消すのも忘れて外にとび出した。この煙草の火がマツチに引火したものか、歸つて來た時は卓上の原稿をすつかり灰に歸せしめてゐたが、幸ひ大事には至らなかつた。
それは兎も角、僕はとび出すと幽霊のやうな男をせき立てて歩いた。間もなく横町に入つて幾まがりか廻つて傾きかけた藁屋の中の入つた。これは全くの別世界でああつた。表通りのあの堂々たる建物の裏にこんな部落があるとは今迄氣つかなかつた。提燈のあの微かな光りに照らし出された部屋の中は、全く小説で喜んだ洞窟の中のやうな蔭慘さに満されてゐた。板をならべたその上に人の恰構で一人伸びてゐた。僕は早速その手を握つて見た。脈はもう消えなんとしてゐた。僕は編輯者の言たるカンフル注射を思ひ出した。そして僕は狼狽した。藥はその他と共に隣りの名醫に讓つてしまつたのであつた。
僕があはててゐる中に、患者は二つ三つ殆んど感ぜられないやうな微かなけいれんを起して終に息を引きとつてしまつた。脈は全くとまつてしまつた。僕のあの野望、僕のあの緊張に拘らず、患者はあつけなく死んでしまつたのであつた。それを傳へるとその母と思はれる老婆がわあ~~泣き出した。僕を連れて來たその兄か弟かと思はれる幽霊のやうな男は、何をしていいか判らずに、部屋を出たり入つたりしてまごついてゐた。僕もしやうことなしにポカンと立つてゐた。戀人を探し當てたら、一瞬の中に立ち消えたと言ふ形であつた。頑張つてゐたところで手のつけやうはなかつたが、と言つてその儘立ち去るのも後髮をひかるるやうな思ひだつた。
P.5 文字對照
更深夜靜,四周寂然,老婆子那忽高忽低、斷斷續續的哭聲,攪亂了我的心胸。
「好了,好了,阿婆!你只是哭有什麼用處呢?把他的身體拭拭,為他換換衣服,今生雖然不幸,我們就為他求取來生的幸福!」我這時想不出適當的話可勸她轉意,只得用自己所不相信的話安慰她。此外,別無辦法。這是多麼悽慘的情景啊!今世看樣子沒有辦法好轉!他和她此後是要怎樣活下去呢?空有一具枯槁的身軀,會講話、能呼吸,可是除此卻沒有能力可維持自己的生存。對這樣的人,那能用「今後會好起來」這樣的話來搪塞呢?即使勉強說出來,反而使人的希望幻滅而已。
我按捺住越來越悲哀的心情,只好以同樣的話反覆地安慰她。這時我已經不是診療醫生也不是預防醫生了,現在我覺得自己似乎是個宣教師,含糊地勸解著。
「好了,好了,阿婆!你只是哭……」
不用說,我這樣笨拙的說教法是不會發生效果的。但是她大概是哭累了,漸漸拖了尾聲,變成啜泣,終於吐了一口氣,用袖子拭眼淚,擰了一把鼻涕塗在自己的腳上。平時對於她這種不乾淨的舉動,我是不能正眼看的,不過此時因為她與周圍的氣氛很調和,使我不覺得奇怪。提起不潔淨,這充滿整個屋子的臭氣,是很難令人忍耐的,但比起「死人」這個強烈的刺激,這種小小的刺激,卻也不算什麼。
「多謝!真多謝!」老婆子停一停向我這麼說。我雖然想不出安慰她的話,卻勉強找問題來敷衍這個場面。
「到底令郎是什麼時候患了病呢?」因為我看他卻不像是個急症,所以才這麼問。 「自上月十五號就病了,已經一個月了吧?……」今天二十五號,自上月十五號到今天已經四十天了。
「以前有沒有請過醫生呢?」
「沒有……」
「那麼,病了那麼長的時間,一點藥也沒有給他吃嗎?」
「不是……」
「什麼藥……」
她指著一個角落,我回頭一看,果然有很多草囉,樹根囉,堆得很高。
我拿起一根在手裏,只嗅出發霉的氣味,到底是什麼樹根卻認不出來。
「這是什麼藥?」
「說是止瀉藥。」
「吃這個就不瀉肚了嗎?」
「是的。」
「發燒不發燒?」
「有時很高,有時就低下來,總是不退啦……。」
深夜の靜まり返つた空氣の中で、その母の高くなり低くなり、時にはポツンと切れてしまふ變調子の泣き叫ぶ聲は僕の胸をかき亂した。
「まあ、まあ、お婆さん――何時迄泣いたところで仕方ありますまい。身體をきれいに拭いてやつて、着物を着換へさしてやつて。現世は不幸があつたかも知れない。が、來世は幸福でありますやうに――」
僕は慰めることぱがなくて、自分でも信じないこんなことを言つて慰めるより外仕方がなかつた。全く惨め過ぎてこの世ではどうにも仕様のない有様であつた。ただ息があり人間の恰構をして居り、微かながら人間の言ふものを言ふ、ただそれだけが人間であり、その生活も而りであるが、人間的な仕事には何一つ耐えられさうもないこの人達に、今によくなるだらうと言ふ氣まぐれな話は出來ず、無理して言つたところで却つて幻滅を與へるばかりであらうと思はれた。
つり込まれるやうな悲哀をおさへて、二度三度僕は繰返してこう言ふ風に彼女を慰めた。。この時の僕は診療醫でもなく豫防醫でもなく、説教師見たやうな立場に立つていい加減なごまかしで彼女をいたはつてゐた。
「まあ、まあ、お婆さん!何時迄泣いたところで――」
無論僕の説教がきくとは思はれない。が、泣き疲れた婆さんの泣き叫び聲は段々と尾を引き、すすり泣きに變り、終には溜息を吐いて袖で涙を拭ひ、手鼻をかんで自分の足にぬりつけた。普通なら僕はこの不潔さに顔をそむけるところであるが、この場合、それが周圏と調和を保つてゐて別に奇異な感を與へはしなかつた。不潔と言へば部屋全體のあのごみ~~した空氣も而りであり、變な臭氣が充満してゐて、普通ならなか~~居堪らないやうなところであるが、人間の死と言ふょり強烈なる刺激で僕はこの小さな刺激をヵバーされてゐたのであつた。
「多謝!眞多謝!」暫くして僕に顔を向けて婆さんが言つた。僕は慰めの言葉に窮しながらも又色々と慰めにもならないやうな慰め言葉を探して言つた。
「一體息子さんは何時から悪かつたのですか?」見たところ急患でもない様子だつたので僕はこんなことを聞いた。
「先月の十五日からですが、もう一ケ月位になりますでせうか?」 今日は二十五日で、十五日からならぱ四十日になつてゐた。
「その間、誰かに診て貰ひましたか?」-
「いンえ!」
「ではこの長い間、ちつとも藥をやらなかつたんですか?」
「いいえ」
「どんな藥を?」
婆さんの指さす隅。この方を見ると眞實に藥が、草や木の根がうづ高く積まれてあつた。 僕はその一つを手にして見た。かび臭いにほひの外には何の木の根であるかさつぱり見當がつかなかつた。
「これは何の藥ですか?」
「下痢を止めると言ふのです」
「これを服んで下痢は止つたか?」
「止りました」
「熱はあつたか?」
「上つたり下つたりで仲々とれませんでした。」
P.6 文字對照
聽了這些話,似乎是患了傷寒。但是她這麼濫用民間藥草,卻使我覺得很可怕。現在我才知道所謂民間療法是瀉肚就給止瀉,發燒就給退熱,肚子痛就用銅錢沾水來刮背以麻痹神經。
我想起曾看見小孩子們玩火。火引著壁上的枯草時,小孩子們便用草啦、甘蔗葉啦來掩蔽它,這倒使火勢愈猛,終於把整個屋子燒成灰燼。小孩子們這種滅火的心理正和這老婆子用草囉、樹根囉,給他的兒子吃,想要治他的病的心理一樣。用心雖是很真摯,但這種無知的行為實在太可憐了。
國家把人民的寶貴的身體放在此種狀態而不顧,是對的嗎?不,我們醫師也有責任的!醫師是一種職業,職業便是生意,生意除了賺錢以外,什麼都不管,這樣的態度是對的嗎?
然而,實際上我們又能做些什麼呢?
我以為須把民間藥草集中起來,加以分析,究明其中的成份,然後綜合起來,詳加註明其適應症與使用方法,必要時也得實地指導。這豈是我們的力量所做得到的呢? 常聽到替鄉村偏僻地方的無醫村而呼籲,而這小巷裏的無醫村為什麼卻沒有人顧及?
「若早點請醫生來看就好了,為什麼不去請呢?」對我這句話,老婆子只歎了一口氣不回答,眼眶裏含著淚水,再一次說:
「多謝,真多謝……」
然後從懷裏,摸出一包用報紙包了好幾層的紫紅色的紙包,要遞給我。
這時,我覺得問了那句話很不對,因為良心的責備,逃也似地走了出來。假如有錢,誰能安於這種境遇?難道不是自己的寶貝兒子嗎?雖然難以想像,但老婆子如果有足夠的錢,一定會把他送到設備完全的病院去吧!
「先生!先生!等一下吧!」她手拿著紅包,追了出來。
「你不用費心,我不要,你收起來吧!」
「先生!這是一點小意思……」
「我不是因為少,你明天也要花錢,請你收起來吧……。」
「但是……還得請先生寫一張死亡證明書,不知道要多少錢呢?」
「證明書可以寫給你,錢不要,天亮以後叫人來拿好了。」
我像夢遊症病人一樣逃了回來。
嘗聽人說「窮人是要證明書時才叫醫生的」,我現在才體會到這句話的真意,同時因為第一次的經驗,我的心也受到了很大的衝擊。
我現在已經不是診療醫生,也不是預防醫生,完全成了個驗屍人了。 我進了診療室時,燒剩的稿紙還在微微地冒煙,我把灰吹掉,拿了新的稿紙,以新的感觸寫著與平時不同的詩。
然而,雖然詩已寫好,卻一點也不覺得喜悅,一種激烈的悲哀隨著襲來。
──葉笛、清水賢一郎根據《新生報》(一九四八年十月二十日)李炳崑之譯文校譯
──彭小妍、黃英哲校訂
註①
1.日文版第一次發表於《台灣文學》第二卷第一號(一九四二年二月;昭和十七年)。依編輯體例,《全集》按此日文版根據第一次發表之中文版校譯。
2.《新生報》版李炳崑之中譯本(一九四八年十月二十日)乃根據《芽萌ゆる》(一九四四年,排版中被查禁)中所收入之日文版翻譯,偶有遺漏與誤譯之處。三省堂《鷥鳥の嫁入》(臺北:三省堂,一九四六年)收入之日文版本與《芽萌ゆる》之日文版本相同。
3.《鵝媽媽出嫁》(臺北:大行出版社,一九七五年)收入之中文翻譯版,與《新生報》版相同。
註②
臺語,「打油詩」之意。
色々聞いて行く中に、僕はこの民間藥の出鱈目な使用に非常な危懼をもつた。下痢をすれば下痢止めを、熱が上れば下熱濟を、腹痛がすれば銅錢に水をつけて背中をこすつて神経をまひさせると言ふやうにして來たことが判つた。そしてその症状や経過から察するとどうも腸チフスらしかつた。
僕は曾つて見た子供の火遊びを思ひ出した火が藁壁についたとき、子供達は草や甘蔗の葉でそれを掩ひ隠さうとして益々火勢を強め、終には家をすつかり灰に歸せしめてしまつたのであつたが、火を消さうとするその時の子供達の心理も、今この婆さんが色々の草木藥を息子に服してその病氣を治さうとする心理と同じやうに眞劒そのものではあつたが、哀れむべきはその無智であつた。國家は、大事な人民の身體をこう言ふ状態に置いていいものかどうか、いや、吾々醫師にだつて責任があるのではないか!醫者は職業だ、職業は商賣だ、商賣に金にならないこと迄頭を使ふ必要があるかと言ふやうな氣持でゐていいものであるかどうか――
併し實際問題として吾々に何が出來るか? 民間に行はれてゐる所謂民間藥を漏らさず集めて分析し、その含有成分を究明し、その適應症及ぴ使用方法を集大成しなければならぬ。そして必要ある場合にそれ~~指導して行かなければならぬ。それが吾々の力でどうすることが出來るか?
が、それは兎も角、避地の無醫村が騒がれてゐる時、この裏町の無醫村を人々は何故ほつといて顧りみないのであらうか!
「早く醫者に診て貰つたらょかつたのに……何故診せなかつたのだ!」 この僕の言葉に對して婆さんは溜息をついて答へなかつた。そして玉のやうな涙を目に浮べて重ねて、
「多謝、眞多謝」
を言つた。
彼女はもそ~~と懐中をさぐつて新聞紙で幾重にも包んだ赤い紙包みは、あかじみて黒つぽい赤い紙包を差し出した。
僕は悪いことを聞いた心苦しさに逃げるやうにそこを出た。金があれば誰がこんな状態に甘んじてゐやう!大事な息子ではないか!想像して見たこともないだらうが、この婆さんにそれだけの金をもたせれば、彼女は自分の息子を設備の完備した最上の病院に送り込んだらうではないか。
「先生!先生!一寸待つて下さ」 さんは赤い紙包をもつて僕を追つて出た。
「そんなものはいらぬから心配せずにしまつて置きなさい」
「僅かですけれどもほんの志ですから」
「いいや、少ないからではない。明日色々と出費が要るだらうからとつて置いたらいい。」
「でも診断書を書いて貰はなければなりませんが、幾何の金が要るものでせうか?」
「それも書いて上げる。金の心配をせんでもいい。夜が明けたら誰かとりによこしなさい。」
僕は夢遊病者のやうにして逃げて歸えつた。貧乏人は診断書を貰ふ時にのみ醫者を呼ぶと言ふ曾つて聞かされた言葉の眞實感が、始めての経験だけに、ひし~~と僕の胸を打つた。
今の僕は診療醫でもなく豫防醫でもなく、全くの検屍人であつた。 診察室に入つた時、燃え殘りの原稿が微かな煙を立ててくすぶつてゐた。僕はそれを吹きとばして新しい原稿用紙に新しい感動でもつて何時もと違ふ詩を書いた。だが、書き上げた喜ぴのかはりに、僕は非常な悲哀に襲はれた。
(十六年十一月十七日)
―――≪臺灣文學≫第二卷第一號
(一九四二年二月;昭和十七年)